わたしたちはが超格子体の中に美しく安置されているという事実をたしかめた。たとえば、4-4は、4×4の超格子体の内部において次のように配置されている。

これほどまでわかりやすい隠れ処を持っていながら、わたしたちの目から何千年の間もやすやすと逃れつづけてこられたとは! いや、失われた時間を嘆くのはやめよう。そもそも、その存在すら知られていないものを探すということ自体、不可能だという言い訳もできる。

数学上の発見には時機というものがある。は、テクノロジーが指数関数的に進化するこの時代を適切に選んだ、ということにしておこうではないか。数の世界にむじゃきに遊ぶ心を片翼とするばらば、もう一つのつばさは20世紀に入ってわたしたちが手にした電子計算機の威力。超格子体の構造に挑戦するためには、この二つのつばさの化学反応を待たなくてはならなかったのかも知れない。

おそらくはわたしたちに見つけだされることを熱望し、ずっと超格子体の中で叫びつづけていた。少なくともわたしたちは今回の発見を糸口として、超格子体の驚異の代数構造を、徐々にあきらかにしつつある。わたしたちの想像をはるかに超えた対称性、強靭で繊細で緻密な構造の一式が、同時的に組み込まれている。そもそも、わたしたちの世界に、それを比喩する言葉が見当たらないので、いくら最上級の賛辞を尽くしてもそれらの不可思議を表現しきることはかなわない。

だが、ここにもう一つのミステリーがある。の住処のことである。かれらの安住の地は超格子体の中だけではない。どういうことか? もったいぶった前口上はこれ以上は不要。さっそく、これをみてほしい。

 

 

神出鬼没というべきか? そうなのだ。超対称時計盤の中でも、は長い間、だれからも気づかれないまま眠りつづけていたのである。そして、ここでもまた、かれらは奇しくも正方形という幾何を選んでいる。

なぜ、正方形なのか。動画に示されているように、超対称時計盤と超格子体の構成法はまったく原理を異にしている。にもかかわらずである。まことに奇妙なことといわざるを得ない。

たった一つの事例をもって事実を普遍化するのは気がひける。もう一つ時計盤を作ってみよう。先に見た生成原理に準拠すれば、わたしたちは無限に時計盤を作ることができる。

 

 

だんだんと作り方のコツはつかめてきただろう。盤面におかれた数は16個。いわゆる超対称時計盤(16)である。ここでは固定された「×3」という演算が生成のキーとなる超対称時計盤(16)を作るために肝心なのは、16という回数で一巡するように「×」に該当する数を選ぶことである。その数さえ見つけられれば、あとは17でわったときのあまりを順番にとっていけばいいだけだ。

それにしても、なぜは正方形を選ぶのか? これら二つの正方形は、1~3乗数の総和がひとしい、ということにとどまらず、他にもさまざまな美しい関係によって結ばれている。いや、じつのところ、超対称時計盤自体が幾何学的な方法で各盤面数を円環状に束ね、同時的に多層的に関係性の網をはりめぐらせている

 

いや、このことは言葉を尽くしても伝わりにくい。たとえば、超対称時計盤(12)の中における正六角形という幾何にフォーカスしてみよう。

二つの正六角形の間で鳴り響いている共鳴。しかと聞き取ってもらえたかと思う。

2乗数、あるいは2連積をマー呼吸でつなぐとになる生成原理がまったく異なるにもかかわらず、そっくり超格子体を彷彿させる現象である。それゆえ、ますます不可解。どう対処すればいいというのだ? いまのところ超対称時計盤に対しても、わたしたちは徒手空拳で立ち向かわなくてはならない。無謀だろうが、なんだろうが、思いつくままに、さまざまなことを試みる。初心を忘れるまい。

 

となれば、今度は超対称時計盤(16)にアタックをしかけることにする。この時計盤の中には二つの正八角形がおさまっている。

なにかが起きている気配がする。とりあえずは、おなじことを試みてみよう。累乗数のマー呼吸だ。あにはからんや、ここでもやはり共鳴現象が∙∙∙

なんと2乗次元のみなならず、3乗次元においても二つの正八角形は同調している超対称時計盤(12)よりも一段と構造が深くなったというべきか∙∙∙。動画ではあえてふれられていないが、0乗、1乗次元においても二つの正八角形がつくる数は一致する。それを考え合わせると、じつに興味深い構造だ。

 

つぎに連積についても、しらべてみる。

 

美事である。このような超絶微妙なバランスを保ちつつ円環状に存在しうるだけで奇跡。そのことを知った上でさらに次の動画を見てほしい。

 

吐息しかでない。超格子体とどうように超対称時計盤の代数的構造の強靭さも謎と驚異に満ちみちている。が、このような現象は氷山の一角と思われる。ぜひ、諸君たちも果敢なアタックを仕掛けてみてほしい。吉報を待つ。